時代や国を問わず、説得力を持ちつづけそうな言葉を拾ってまとめていくシリーズ「時空をこえたメッセージ」の5回目です。
少々かび臭い時空をこえ過ぎたメッセージをお届けします。
隴を得て蜀を望む(ろうをえてしょくをのぞむ)
中国の故事成語です。
隴(ろう)という小さな地域を征服すると、もっと大きな地域(蜀。しょく)を征服したくなる・・・
一つの望みを遂げると、もっと大きな望みが湧きおこる
欲望に限度を設けない、人間心理の一面を喝破する言葉です。
投資の世界では非常によくみられる心理現象、ではありませんか?
運用成績で調子がいいと、知らず知らず笑みがこぼれ、
「何かいいことあった?」
「・・・別に・・・」
みたいな会話をしつつ、当初の想定よりもポジションを大きくしてみたり、ひと月で20万円利益が出たら勝手に12をかけて
「一年で240万!?」
とその気になってみたり・・・(たいてい、実現しません)
書いていて恥ずかしいですが、これはわたしの実体験です。
まさに、隴を望んでそれが手に入ると、人は次第にその状態を「当然」のことのようにみなし、さらに大きなもの、蜀を望む傾向があります。
何かが手に入り、もっともっとと望むことは、健全な向上心につながることでもあり、「それがいい悪い」という話ではありません。
ただ、おそらく、太古の時代から、そういう心理モードで人は生きてきたようであり、今後もこのようなモードで生きていくであろうこと、そして、自分にもそういう傾向があり、ときにその過剰な欲望の膨張が、自分をひどい状態に追いやる可能性もあることは、一寸先は闇でもある投資の世界では意識しておいてもいいのかもしれません。
※欲をかけば大成功することもあり、必ずしも欲望を膨張させること自体が悪いこととはわたしは思いません。あまりに無防備に欲をかきすぎると痛過ぎる目に遭うこともある、という一般論です
一方、面白いことですが、
羮に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)
という一面も人には備わっているようです。
「羮に懲りて膾を吹く」も中国の故事成語です。
熱い食べ物で舌をやけどすると、冷たい食べ物でもフーフーしてから食べることがあるように(わたしはそういている人を見たことがないですが)
何かで失敗した直後は、必要以上にむやみに慎重・臆病になる
という人間心理を描いた言葉です(この心理はよくわかります)。
これも投資の世界ではよくあることだと思います。
ある銘柄を買ったとたんにネガティブなニュースで株価が20%暴落し、泣く泣く損切りし、その後、怖くなってしばらく株を買えなくなる、市場に近づけなくなる・・・
あるいは
市場全体が暴落すると二番底懸念から買い向かえなくなる
というのはごく一般的で自然な心理かもしれません。
確率的にはめったにないことであっても、人はそのめったにないことに遭遇してしまうと、「自分がたまたま遭遇した」という事実に縛られ、なかなかその「偶然の幻影」から逃れることができない傾向があると思われます。
他人がみれば「なに膾吹いてんの?」と思うような行動をとってしまうことがある、つまり、理性的に判断すれば、どう考えても割安な株式が目の前に転がっているのに、またやけどするのが怖くて、買えずに見送ってしまうことがある、ということです。
今、自分は、
調子に乗ってあまりに大きすぎる蜀を望んでいないか?
偶然訪れた不運な出来事に委縮して膾を吹いていないか?
たまにそんなことを気にしてみてもいいのかもしれません。
おわりに
「漢文の授業?」「嫌味なおじいさんのかび臭い説教話?」みたいになってしまいましたが、欲望渦巻く投資の世界においては、おそらくいまだに傾聴に値するフレーズだとわたしは思います。
そして、何千年も昔から、自分から湧き出る欲や恐怖に対し、いかに理性的に対応するべきか、いまだその術を人は体得できていないし今後もなかなか難しいのかもしれません。(わたしも体得できませんし、それが人間であり、ごく自然なことで、それでいいようにも思いますが・・・)
そういった人間臭い問題を今後「AIが一部解決」してくれるのか、よくあるSFもののように「AIに一部人が支配されてしまうのか」、あるいはこれまでとさほど変わらない人間臭い世の中が続くのか・・・
わたしはどちらかというと、不合理なことはたくさんあっても、比較的人間臭い世の中であり続けてほしいと思うたちですが、どうなっていくことでしょうか。
隴を得て蜀を望む(ろうをえてしょくをのぞむ)
羮に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)
🐈「時空をこえたメッセージ」シリーズ、よければどうぞ。