時代や国を問わず、説得力を持ちつづけそうな言葉を拾ってまとめていくシリーズ
「時空をこえたメッセージ」
の23回目です。
今回は壇蜜さんと結婚された人の言葉。
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結局ないものねだり
振り返ると、人生でしんどくない時期ってないですね。仕事がない時はない時ですごいしんどかったです。 『仕事さえあれば自分の人生は満たされるはずなのに!!』 と毎日思ってましたけど、実際に忙しくなったら、休みたくて仕方がなくなってる自分がいます。結局ないものねだりなんですね
※壇蜜を射止めた漫画家「清野とおる」の快活人生 | 「非会社員」の知られざる稼ぎ方 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準より引用
「東京都北区赤羽」などの作品で知られる漫画家の清野とおる氏の言葉です。
売れない時代、仕事さえあれば満たされると思っていたのに、いざ売れるとあまりの忙しさに休みたくて仕方がなくなっている自分を発見して
「結局ないものねだりなのか?」
という述懐。
たしか急に売れっ子になった漫画家水木しげるさんにも
「あまりの忙しさに職場を逃亡、深夜自転車で徘徊し警官に職質される」
みたいなエピソードがあったような。
夢のマイホームも「ただの家」
「戸建ての自宅を持つことが夢です!」
と宣言する人は昔より減っているかもしれませんが、人によっては「夢」のマイホーム。
こんな家がいい、庭には芝生を植えて子供とボール遊びをして、休日には友人家族とバーベキューを・・・
そんなときめきとともに建てた家も住んでみればだんだん「ただの家」。
完成当初の興奮は冷め、マイホームに住んでいることが「当たり前」になってくる。
別に「当たり前」がだめな訳ではありませんが、例えば夫婦間で喧嘩なんかすると、賃貸だろうが持ち家だろうが、そんなことはどうでもよくなって「夢のマイホーム」の一室片隅で腹を立て「なんでこんな高いもの買ったんだ!ローンを抱えてケンカしてるくらいなら、気楽だった月7.5万の賃貸でよかった」とぼやいている、そういう一瞬が訪れることもあるのかも。
※例えばの話です。わたしの周りでは戸建て満足度は総じて高そう
自分自身の自分に対するある程度の「評価基準」「満足できる範囲」の重要性
上げ相場でいろんな人の収益自慢盛んなりし時期に、自分があまりリスクをとらず、小さな収益だと、利益が出ていてもなんだか「損した」気分になります。
一方、下げ相場でいろんな人の損失自慢盛んなりし時期に、自分があまりリスクをとらず、小さな損失だと、損失が出ていてもなんだか「得した」気分になります。
運用成績はきれいに数字で出てしまうので、何かと比べて自分の現状を否定的にも肯定的にも捉えることが容易です。
結果はピンキリ、ある時点において探せばいくらでも儲けてる人はいるでしょうし、逆に、大損している人もいるでしょう。
上も見ればきりがなく、下を見てもきりがない。
また
何かを手にすると何かを失ったことに気づいて、また何かを欲しがって・・・
という「ないものねだり」の精神は、程度の差はあっても、ある程度一般的な人の性(さが)なのかも。
そんなふうに考えると、とどのつまり、
ネットなどで大量の情報が入りやすい現代は、自分自身の自分に対するある程度の「評価基準」「満足できる範囲」をそこそこきっちり設けておかないと、
場合によっては「エンドレスな比較作業」などにより評価基準がぶれやすくなり、
自分自身の人生を自分らしい視点で評価しにくくなり、
精神的にフラフラ放浪したままいいのか悪いのかよくわからない時間ばかりがただただ過ぎていく『危険性』
が昔より高くなっているのかもしれない、
とふと思ったり。
個人的には
自分自身の自分に対するある程度の「評価基準」「満足できる範囲」は低めに設定。
「生きてるだけで丸儲け」
「人間生まれてきたときは裸。死ぬ時にパンツ一つはいてたら勝ちやないか」
という言葉が好み。
何に「勝つ」のか、いまいち不明な点もある言葉ですが、しぶとさと気軽さを感じるフレーズ。
と、呑気にこういうしょうもない文章を書いたりできているのは、それほど悪い状態でもないんであろう、という適当な自己診断記事。
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