投資家の「リスク許容度」と建築物の「耐震性」と投資効率の「最大化」について、雑感。
ウェルスナビのコラム
リスク許容度はいつ変えればいい? | ロボアドバイザーならWealthNavi(ウェルスナビ)
上記コラムによれば
☆リスク許容度を変えるのはあくまで年齢や収入、金融資産の額、運用期間といった項目が変化したときのみ
☆「長期・積立・分散」の資産運用においては、相場の短期的な動きにとらわれず、長期的な視点でじっくりと取り組んでいくべき
という主張がなされています。
主張の是非はともかく、わたしはインデックス投資を2014年か2015年までいくらかやっていたことがあり、今もごくわずかやっていますが(コロナショック時のリート投資)、以前から「投資家のリスク許容度」という考えには気になる点があります。
自分の「リスク許容度」が実際どのくらいなのか、投資家個人が把握できるのか
気になる点というのが、
自分の「リスク許容度」が実際どのくらいなのか、投資家個人が把握できるのか
という点。
例えば
☆米国株式インデックスが50%暴落して、円高で15%円建て資産が減少しても
☆若くて収入が安定した職に就いていて数十年の積み立て長期投資を想定している自分なら
☆リスク許容度的に大丈夫、3年くらい我慢すればいいんでしょ
と考えて投資資産の8割を米国株に積み立て投資している投資家がいたとします。
そしてほんとに大暴落後と3年間の長期の株価低迷相場に遭遇したとします。
彼はほんとに耐えしのげるかどうか。
粛々と積み立て投資を継続できるかどうか。
意外に平気かもしれない。
半年でギブアップするかもしれない。
リスク資産への配分比率が6割なら続けられたかもしれないし、配分比率が3割くらいじゃないと続けられないくらい、リスク許容度が低い投資家だったかもしれない。
それは実際なってみないとわからないのではないか?
リスク許容度はあくまで投資家自身がある時点で「想定している」リスク許容度であって、本当にそれが適切なリスク許容度かどうかは、本人にも、他者にも、実はよくわからない、実際下げ相場が起きてみないとわからないのではないか、という気がします。
建築物の「耐震性」との共通性
実際に起きてみないとわからない
という点でとてもよく似ているなあ、と感じるのが、建築物の「耐震性」。
理屈や想定では耐震性が十分にあることになっていても、
☆実際の施工業者の技術的倫理的問題(たまたま未熟な職人に施工されるとか手抜き工事とか)
☆地盤の弱さとの関係や地震直前の気象状況(大雨が降ったとか)
☆経年劣化や想定外の劣化(思わぬ部分がシロアリ被害で劣化していたとか)
等で建築物のある時点における真の「耐震性」というのは実際大きな地震が起きないとわからない。
実際大きな地震が起きて、近所の似たような地盤の同様の建物と比べて初めて耐震性を実感できるような気がします。
加齢とともに半分半分 ほどほどに
だからなんだということなのですが、
☆先のことはわからない
☆未来の自分のリスク許容度もわからない
☆現在の建築物の耐震性も正確にはわからない部分がある
そんなことを考えるにつけ、加齢が進むごとに最近は
☆5割の間違いを引き受けることで、5割の正解を手にする
☆5割の不快を引き受けることで、5割の快感を手にする
的な発想に魅力を感じます。
資産運用なら
株5割 現金5割 のポートフォリオ
みたいな。
普段の暮らしなら
☆今日しようと思ったことが半分しかできなかったけど、半分できたんならそれでいいか
☆昨日は調子よかったのに、今日は全然だった。でも、2日トータルでみればまあまあ活躍できたか
みたいな。
中年になり、全力で100%の成果を求める気力が失せてきているだけ、なのかもしれません。
しかし、仮に100%物事が思い通りにいく生活が10年続いても30年続いても、その先に生じ得る「思い通りにいかない」ことのネタは永遠に尽きないというのはおそらく確実なわけで(実際自分も周りも含めると、100%物事が思い通りにいく生活が3日も続かない?)、いいことも嫌なことも半分半分、ほどほどに。
そして改めて投資効率の「最大化」も過度に求めすぎないようにしようと感じた次第。